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日本キリスト教団高砂教会ブログ Weekly Church News

高砂教会広報部がお届けするHOTな情報☆日々のアレコレ!
敬老の日礼拝
昨日の礼拝は、敬老の日礼拝として捧げられました(^^)

礼拝の中で、シニアコーラスの皆さんが特別讃美を捧げてくださいました(o^^o)




素晴らしいハーモニーに感動!

礼拝の最後には、シニアの皆さんへのプレゼントを新谷主任牧師先生がお一人お一人に手渡されました。





ハレルヤ!!





- / 10:44 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜 ** ☆ たとえ周回遅れであってもいいじゃないか! ☆ ** ホザナ通信2016年1月号より 

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜 ** ☆ たとえ周回遅れであってもいいじゃないか! ☆ ** ホザナ通信2016年1月号より

 ホザナ通信を愛読下っている皆様、こんにちは。
新年が明けて早1ヶ月が経ちました。年々月日の流れるのが早く感じます。


しっかり生きないと!と自分を励ます日々です。( 画像は顔じゃんけん中の新谷牧師です2017.08.26)

 私は『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(樋野興夫著)を読みました。
樋野氏は順天堂大学医学部病理学・腫瘍学教授で、クリスチャンです。
樋野氏は、2008年から「がん哲学外来」という働きを始めています。
それは医療行為を行う場所ではなく、がんで不安を抱えた患者と家族を対話を通して支援する働きです。
この「がん哲学外来」に不安に呵まれてやって来た人達が、笑顔で帰っていくそうです。
この働きは今や「がん哲学カフェ」という名前で全国に拡がっています。
この本は、この働きから生まれた「言葉の処方箋」集です。
その一つをご紹介します。

 人生なんて相対的なものです。
誰が先頭を走っているかなんて傍目にはわかりません。
たとえ一周遅れになったとしても、ある人から見たら、案外、あなたが先頭を切って走っているように見えるのかも知れません。
 私は子どもの頃から足が遅かったので、マラソンではいつもトップから周回遅れでした。
当時は悔しく恥ずかしい思いをしていましたが、いま振り返ると「人生は一周遅れぐらいのほうがちょうどいい。ゆっくり走ると、ゆとりが生まれる。人生はゆとりを持って品性を保ちながら走り続けることが大切」と感じます。
 トップでゴールできればそれは確かにすばらしい。
しかし、トップの人だけ価値があって、ビリの人には価値がないかというと決してそうではない。
ビリでゴールした人にもトップとはまた違った価値がある。
周回遅れになっても、最後まであきらめずに走り終えた人の姿に私達は感動したり、勇気づけられたりします。
周回遅れの人にも周回遅れなりの責任があるのです。
私をそれを「1周遅れの先頭の責務」と呼んでいます。

 病気になって人に遅れを取ってしまったからといって焦らなくてもいい。
失敗して無駄な時間を使ってしまったからといって焦らなくてもいい。
うまくできないからといって焦らなくてもいい。
むしろゆとりを持って、品性を保ちながら続けることが大事です。
人生は相対的です。
息を切らして必死の形相で戦闘を走るよりも、鼻歌を歌いながら1周遅れぐらいがちょうどいいのです。

 正に言葉の処方箋ですね。
肩の力がスーッと抜けませんか!人生、そんなに気負わなくてもいいのだ…と心が安らぎ、返って力がでてきます。
 朝の連続ドラマ「あさが来た」が流行に流行っています。
九転十起のあさの成功物語です。
私も感動し励まされ、目を離すことが出来ません。
と同時に「皆があさのようになる必要はないんだ!」とも思わされます。
あさの姉はつも、裕福な両替商に嫁ぎましたが、時代の流れに乗りきれず倒産し一家で夜逃げ。
人目を避けて農家の手伝いをしながら暮らしました。
その後和歌山県に引っ越しし、みかん農家として生きていきます。
過去に縛られず、前を向いて生きていく覚悟をし、みかん作りに誇りを持って生きている姿に清々しさを感じます。
 樋野氏が言うように、人生は相対的なものなのです。
決して人生を比較して優越感・劣等感を持つ必要はありません。
自分の人生を主人公として天に恥じない生き方をすればいいのではないでしょうか。
周回遅れになっても、最後まで走りきった姿に天は感動してくれます。

「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。」?テモテ4章7節


日本キリスト教団高砂教会主任牧師 教会学校校長 新谷和茂

ホザナ通信2016年1月号より


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新谷主任牧師 / 10:29 / - / -
2017.09.03 聖日の一日(振起日総員礼拝)

毎年、高砂教会では9月の第一聖日礼拝を振起日総員礼拝として捧げています。
手束元老牧師先生の説教題は『信者から献身者へ』でした

 

そして、讃美夕拝。

メッセージタイトルは『イエス・キリストの似姿へと変えられる』

 


1部礼拝後のお昼には軽食ティーパーティーが行われました。







 

 

 

 

 

 

 


- / 22:34 / - / -
高砂教会 修養会2017

毎年恒例の高砂教会 修養会が8月25日(金)〜27日(日)まで行われました。

 

今年の修養会のテーマは「主よ、再び聖霊で満たして下さい」です。

「こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい」(2テモテ1:6)

 

 

今年度の高砂教会は、42年前の修養会で起こった聖霊降臨を記念する特別な一年を過ごしています。

42年前の聖霊降臨の重要性を改めて確認し、そして聖霊の火を再び燃えたたせて進む新たなステージが示された特別な修養会になりました。

 

講師は昨年に引き続き、万代栄嗣牧師先生(松山福音センター主任牧師)をお迎えしました。

今年も、聖霊フルチャージで熱く熱く熱く!語ってくださいました。

 

修養会の会場は、おなじみの兵庫県赤穂市にある赤穂ハイツでした。風光明媚な環境です!

 

聖会ごとに心をこめて賛美を捧げます。

 

 

高砂教会に戻った日曜日の讃美夕拝では、修養会の証をし、主に感謝と賛美を捧げました。

 

↓こちらは、修養会2日目の午後のお楽しみ会で、中学生時代に作った賛美を歌ってくださる万代先生(*^-^*)

少年時代から熱い万代先生!

 

 

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- / 18:21 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜 ** ☆浅子から学ぶ ☆ ** ホザナ通信2015年11月号より 

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜 ** ☆浅子から学ぶ ☆ ** ホザナ通信2015年11月号より 

 みなさん、お久しぶりです。お元気ですか?いよいよ冬将軍到来で冬本番です。
元気に明るくクリスマスシーズンを迎えたいですね。


 さて、NHK朝ドラ「あさが来た」が高視聴率を挙げています。
私も毎日楽しみに見ています。
特徴的なのは男性ビジネスマンにも人気があるという点です。
ドラマの中にビジネスヒントが盛りこまれているからだそうです。
 ヒロインあさのモデルは広岡浅子という人物。
彼女は晩年にクリスチャンになっていますので、キリスト教界もこのドラマに対して始まる前から注目していました。
そして本が出版されました。
「浅子と旅する。−波乱の明治を生きた不屈の女性実業家−」(いのちのことば社フォレストブック)です。
読んでみると、広岡浅子の人生の分厚さに驚きました。
読みやすいので是非ご一読ください。
 彼女は男尊女卑の強かった幕末・明治・大正という時代にあって、炭鉱事業、生命保険会社、日本女子大学等の事業を興していきました。
彼女の口癖は「九転び十起き」。
「七転び八起き」では納まらないほど努力する!
ということです。
ですから彼女は、当代きっての重鎮達(渋沢栄一、伊藤博文、大隈重信など)とも対等に渡り歩いて、多くの事業を成し遂げていったのでした。
 連ドラのあさの口癖の一つは「なんでだす?」です。
当時の人々が当たり前だと思っている習わしや在り方に対して「なんでだす?」と疑問を投げかけ、変えるべきものと変えてはならないものを見極め、新しい発想・新しい生き方を模索しています。
実在の浅子は「なんでだす?」とは言っていなかったでしょうが、彼女は政略結婚や妾のように、女性が物のように扱われることに強い疑問を抱いて成長していったようです。
そして、女性も男性と同じ人間であり、決して男性に劣るものではない!との信念を持っていたからこそ、女子教育を提唱する成瀬仁蔵と出会い、女子教育に命を注いでいったのでした。
 やがて敏腕の浅子はキリスト教と出会い、クリスチャンとなっていきます。
そのキッカケは乳ガンでした。死を覚悟して手術をし一命を取り留めました。
この時浅子は神の存在を意識し、「天はなほ何かをせよと命を貸して下さった」と感じたようです。
それからというもの、宮川経輝牧師や山室軍平牧師等と出会い、聖書を学ぶようになりました。
1911(明治44)年クリスマスに、浅子は日本基督教団大阪教会で洗礼を受けました。
その日は9名の子供達が洗礼を受けることが先に決まっておりました。
百戦錬磨の女性実業家の浅子は、「是非子供達と一緒に洗礼を受けさせてほしい」と願い、子供達に混ざって洗礼を受けたのです。
神の前で彼女の心が謙遜にされていた証しです。
 浅子が創った和歌が残っています。

          思いきや 外にも求めし とこしへの
              命は我が うちに在りとは

 浅子自身、妾の子供として生まれ三井家で育ちました(朝ドラではそうではそういう設定にはなっていません…)。
浅子は絶えず男性達と張り合い、自分の力で頑張ってきました。
表現を変えるなら、外に幸福をもとめる人生でした。
しかし生涯の最後に、やっと心の底から甘えることができるキリストに出会い、永遠の命を内に頂いている喜びを体験したのです。

上記の和歌はそんな浅子の心を表しているのではないでしょうか。
 私達の人生にも、外にある幸福を追い求める時期と内に既にある幸福を噛みしめる時期とがあると思います。
人生には両方が必要でしょう。
しかし最終的には内にある幸福が残るのだと思います。
そして内ある幸福を大切に育てる人が心満たされる人生を歩むことになります
                                                        
日本キリスト教団高砂教会主任牧師 教会学校校長 新谷和茂

 

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新谷主任牧師 / 12:39 / - / -
2017.08.06 聖日の一日
聖日の一日
2017.08.06
特別礼拝
説教題「神のみこころの中を生きる」 ゲストメッセンジャー 富田慎悟師



午後からは特別セミナー「御国をもたらす礼拝・祈り」





夕方からは讃美夕拝



熱く燃やされる感謝な一日でした!
ハレルヤ!

- / 21:11 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 幸せになるために ☆ ** ホザナ通信2015年7月号より

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 幸せになるために ☆ ** ホザナ通信2015年7月号より
 

  いよいよ夏休みになりましたね。子ども達は嬉しい嬉しい夏休み。
親にとってはちょっと複雑な夏休み…かな?
ひと夏、どうせなら楽しみましょう!

 

 さて、私は「心を癒す言葉の花束」(アルフォンス・デーケン著)を読みました。
デーケン氏は元上智大学教授で日本における死生学のパイオニアです。
流石デーケン氏、タイトル通りの書物でした。
この書物から今月分かち合いたいのが「不幸な人の6つの特徴」です。
誰でも幸せになりたいと願っています。だから「不幸な人の特徴」を知り、それらを避けるように心掛けようというわけです。 
 
 ー己愛に欠けている人
   自分を十分に愛せない人は、他者を本当に愛することができず、ゆえに、幸福にはなれません。
 
 ∩蠎蠅鬚△襪ままに認められない、受け入れられない人
   いつも相手にこうあってほしいとか、あれではだめだなどと、不満ばかり並べていたら、結局自分が不幸になります。
 
 人生の各段階に応じて成長していない人。
   私達は、各ライフステージによって生き方が違ってきます。
 若い時には、マイホーム、マイカー、仕事の業績など、何かを「持つ」ことが人生の大きな目標になります。
しかし中年期からは、いかに「ある」かを考えて、心の温かい人間になる事の方が大切だと思います。
定年退職後は「手放す」ことが課題になります。
人生の各段階でうまく軌道修正できない人は、不幸になります。
 
 ぢ昭圓魄媼韻靴垢る人
   周りの人の目を気にするのは、日本人の特徴の一つです。
客観的な価値観より、周りの目を通して、自分の態度や行動を認める傾向が強いのです。
和を尊ぶがゆえのことでしょうが、周りの人の判断が間違っているときは、大きな落とし穴となってしまいます。
精神科医で心理学者の加賀乙彦さんは、著書「不幸な国の幸福論」で、日本人の他者を意識過ぎる性
質が、幸不幸に大きく関わっていると指摘しています。
「相手に良く思われようとして自分の感情を押し殺すようなことが続けば、心は疲弊していくでしょう。
そうして自分で自分を苦しめている割には、相手から評価が得られず、むしろ軽んじられてしまうことも多い。
本音で話し合えるような関係を築くのも難しくなります。
他者の評価を気にするあまり、心を病んでしまうことさえある」このように周りの判断を基盤にすることは、非常に危険なのです。
 
 タ誉犬隆躓,鬟船礇鵐垢箸靴道箸錣覆た
    危機はある意味チャンスとも言えます。困難な中から抜け出ようと努めなければ、幸福への道を見つけることは難しいでしょう。
 
 信じない人、愛せない人
    キリスト教の立場から言うと、人間を越える神の存在を信じることによって、幸福になる人は多いです。
この偉大なる可能性を信じ、大いなる存在の無条件の愛の呼びかけに応えない人は、幸福になるチャンスを見逃しているかも知れません。 
  成る程とうなずけますね。
人生は一筋縄ではいきません。
しあわせを望みながらも、様々な要素が絡み合って、思ったようにはなりません。
あの人とおなじようにしているのにどうして…!っと不平を洩らしてしまうこともあるかも知れません。
成功者のハウツー本を読み、その通りにやってみても、著者はうまくいったとしても、読者はそうはすんなりいかないものです。そうなのです。
人生は一人ひとりがオリジナルで、決して同じ人生はないのです。
だからこそ、デーケン氏が最後に挙げている「人間を越えた神の存在」を信じることが重要なのです。
私達一人ひとりをオリジナルに創られた神様だからこそ、私達の人生に関わることができます。あなたならではの幸せを実感するために「神様を信じる心」を持ってみましょう!


日本キリスト教団高砂教会現主任牧師 教会学校教校長 新谷和茂
ホザナ通信2015年7月号より


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新谷主任牧師 / 13:44 / - / -
美智子の牧師夫人物語―花も嵐も踏み越えて― 第18回

第18回

 

1988年11月、高砂教会は大きな歴史的転換点に立ちました。

 

これまで町の片隅にひっそりと佇んでいた教会から、町のメインストリートに面した場所に、威風堂々とした見事な教会堂を建設して移転したのでした。

 

(↑旧会堂で捧げる最後のペンテコステ礼拝の後)

 

 

私たちが赴任してからここに至るまでに、15年の時が流れました。
その間子育て真っ最中の時を通りましたが、十分な時間を子供たちに注ぐことができませんでした。

 

(↑新会堂に移ったばかりの頃の家族写真)

 

 

教会形成の苦悩と葛藤の時代を夫と共に支え合って、ひたすら教会をたてあげることに全精力を傾けていたように思います。

 

それゆえ、大切な自分の内面の問題に目を向けることに思い至らない激動の時代であったと思います。


そんな状況でしたが、よく周りの人から言われたことは、私がどんな時も変わらない笑顔でいたということです。

 

無理やり頑張ってそうしていたわけではないのですが、いつも浮かんでくる思いがありました。

「私を召された方は真実なお方、今起こっていることは、全て神様が知っていてくださる、だから神様に信頼して行けば良いのだ」
との内なる声でした。

 

それは父の牧師としての歩みを通して、
「どんなに悪い状況に陥ったと思えても、神様は真実の愛を持って導き助けてくださる」
という信仰の確信をもらっていたからなのでしょうか。

 

 

新会堂に移されてからの歩みは、霊の次元に於ける新たな挑戦の時代となりました。

 

それは、教会の使命と目標を明確に掲げると同時に、私たちの意識改革を迫られることでもありました。

 

教会目標に先ず掲げられたのは、

一千人教会を目指して多くの人々に福音を大胆に伝えていくこと。
また、海外に開かれた教会として、海外宣教に携わっていくこと。
日本の諸教会に聖霊運動を推し進めていくこと。

 

これらの目標は、単に高砂教会が成長するという自己目的ではなく、さらに神様の願っておられる大きな視野に立たされるということでした。

 

教会の働きをしっかりと推し進めるための組織を構築し、信徒訓練を重んじ、様々な集会が持たれ、手束牧師自ら多くの学びを受けて、信仰が引き上げられて行きました。


やがて、あちらこちらから要請を受けて、日本国内にのみならず海外へと出かけることが多くなりました。

 

 

教会の信徒の数もどんどん増えるに従って、私のこれまでのあり方では、対応できない場面に直面させられることになりました。

 

(↑1993年3月 牧会20周年記念)

 

 

救われる方々の中に、本人では抱えきれない問題を背負って信仰生活を始められる中、内面の葛藤から来る精神的混乱に陥り、助けを必要とされる方々が次々と出でくるようになりました。

 

それらの方々をどの様に取り扱うのか専門的な学びを受けていないにも拘らず、無我夢中で目の前の人が神様の愛によって癒され、解放され、信仰確立に至る様にとの一心で、必死に悪戦苦闘しながら向き合っていきました。

 

しばらくして、カウンセリングの講習を受ける機会が与えられ、その学びが深まっていく中、否応なく自分の内面の問題に直面させられることとなりました。

 

そこで、徐々に気づかされ始めたことは、自分の未熟さと傲慢さでした。


「私は人を裁かない、私は人に対して公平に接している、私は嫉妬やひがみの感情を持っていない」という自負心が危うく感じられることが多くなってきました。


疲れを覚える時が多くなり、孤独を感じることが度々起こってきたのです。

 

ある朝早く礼拝堂で祈っていると、私の内側からびっくりするような感情が溢れてきました。

 

「私は孤独だ!他の方々の働きの方が素晴らしく見える。私の中に嫉妬心があった!私は損な役割ばかり担わされている!」
などの醜い感情だったのです。

 

こんな思いが押し込められていたなんて!驚きました。

 

涙が止めどなく溢れました。今までどんなに苦しくても泣くことがほとんどなかった私です。

しかしその時、暖かい手が私の肩を抱いて下さっている感覚を覚えました。
すぐにイエス様だとわかりました。
    
「美智子!あなたの私に対する愛、それは目の前の人の苦しみに寄り添い助けてくれたことだよ」と。

 

嬉し涙が溢れました。そして父の遺言の言葉を思い起こしました。

「良いか!一番大切なことは、一に謙遜、二に謙遜、三に謙遜だぞ!」

 

私はどこかで、自分は謙遜に歩んできたとの傲慢に陥っていたのだと気づかされ、涙ながらに悔い改め、祈りました。

 

そこから私の深い部分の癒しと解放がなされていきました。

 

 

今は解放され過ぎて、孫がこんな川柳を作ってくれました。

 

『おばあちゃん、いつも元気で笑い過ぎ』

 

教会中で一番大きな声で笑っているのが、私かも知れません。

 

「神のなさることは、みなその時にかなって美しい」伝道の書 3章11節
 

 

 

 

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美智子の牧師夫人物語 / 11:25 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 病気になっても壊れない幸せ ☆ ** ホザナ通信2016年5月号より 

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 病気になっても壊れない幸せ ☆ ** ホザナ通信2015年5月号より 

皆さん、お元気ですか?4月からホザナ通信編集担当が変わりましたが、私は隔月で執筆させて頂く事になっています。
よろしくお願いいたします。


それにしても5月だというのに暑いですね。
体調にはくれぐれもお気を付け下さい。 
先々月に引き続き「神様がくれた弱さと微笑み」(西村隆著)から巻頭言をお届けしたいと思います。

 不治の病気を宣告されても
 私は誰にも負けないくらい幸せです。
 病気になったくらいで
 壊れるような幸せよりも
 病気になっても
 より強く実感できる幸せを
 創りませんか

 これは西村隆さんの短いけれども力強い呼びかけです。
ドキッとしませんか。西村氏は関西学院神学部を経て、神戸聖隷福祉事業団に入社。
37歳の時にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発病。
この病気は運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病です。
病気が進行し、徐々にしかし確実に手足が、体が、口が動かなくなる中で、彼は文章を綴っていきました。
 西村氏が不治の病を患ったことが周囲に伝わっていくと、多くの知人友人が、「病人は不幸な人」とばかりに、様々なアドバイスをしてくれたそうです。
全て善意からの熱心なアドバイスでした。しかしそうであればあるほど、彼は違和感を感じるようになりました。
 西村氏は「治るとか、以前のような健康になることはあきらめて、この病気とうまく付き合っていこう」と決断をしました。
患っている病気にもよるのでしょうが、彼の場合、自分の限られた時間やエネルギーを、治ることだけに使わないで、生活全体にうまく配分しようと考えたわけです。
そして家族と過ごす時間、新しい人達と出会うことに時間とエネルギー使っていきました。 
彼は「人生の目的は、健康で長生きすることではありません。もっと内面的、精神的、霊的なことが大切です」と言っています。ALS(筋萎縮性側索硬化症)という不治の病に限らず、人はみな人生に終わりがあるのは決まっています。
時々刻々と命の時間は短くなっているのです。
各自が残された時間を何のために使うかが問われます。
その使い方によって、冒頭で取り上げた西村氏の
「病気になったくらいで、壊れるような幸せよりも、病気になっても、より強く実感できる幸せを創りませんか」
という言葉が実現されるのでしょう。 
また西村氏はこうも言っています。
病を得て、数え切れないものを失い続けています。
例えば、ハンバーガーにかじりつくこと、町を歩いたり、お喋りしたり、何かをすること、出来る事。
英語で言えば、《DOING》の世界に生きること。
そこにこそ、生きる意味や価値があると考えていました。
「私でもいきていて良いのかなあ」。
不安で仕方がありません。 
病を得て、数え切れないものを失い続けても、残るものがあります。
何もできないかもしれないけど、私は今、確かにここにいます。
英語で言えば、《BEING》の世界。
ここにも生きる意味や価値があると気がついたとき、「私でも生きて良い」。
不安は去り、心にゆとりができました。 

病を得て、数え切れないものを失い続けて、私を見つめる目があります。
私はその目にどんな姿を映せるだろう。
悲しんではいられない。苦しんではいられない。
「私は、より幸せに生きるべきた」。

幸せを問い始めました。 
無駄なものがそぎ落とされて、はだかになったたましいが感じたものは、人のぬくもり、共にいる幸せ。
私の幸せ、ありえない。
あるのは、私たちの幸せ。
私のいのちが、ぱっとはじけてひろがりました。
共にあるいのち。共にいる喜び。
そしてイエスと共に。

 この西村氏の言葉をとおして、人間のもっとも原初的な幸せと安心は「共に」のなかにあるのだと気付かされます。 
子どもが小さければ小さいほど「共に」を求めます。
成長と共に自立していきますが、「自立」は「孤立」ではありません。
健全に「共に」いるための「自立」です。
やがて老年になり様々身体の機能が失われていくときに「共に」いることが益々必要になります。 
共にいる喜び、幸せを大切に育てていきたいですね。 
                                                         
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新谷主任牧師 / 13:07 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 状況に適った言葉を語る ☆ ** ホザナ通信2015年3月号より 

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 状況に適った言葉を語る ☆ ** ホザナ通信2015年3月号より 

 桜が咲きいよいよ春本番と思いきや、冬に戻ったかと思うほどの寒い日が来ましたね。
ホザナ通信をお読みの皆さま、体調にはくれぐれもお気を付け下さい。


 さて、3月号が思いっきり遅くなって諦めかけておりましたが、「継続は力なり」で発行致します。
 この度私は、「神様がくれた弱さとほほえみ−20編の小さな物語」(西村隆著)を読みました。
西村氏はALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っておられる方です。
この病気は運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病です。
病気の進行は個人差はありますが、手や足をはじめ体の自由がきかなくなり、話すことも食べることも、呼吸することさえも困難になります。
しかし、基本的には他の内臓、感覚、自律神経と頭脳はほとんど障害されることがないそうです。
西村さんは37歳の働き盛りにこの病気になりました。
身体機能が徐々に衰えるなか、動きにくくなった手をやっとの思いで動かして文章を綴っていったのがこの書物です。
 最初の章「たった一言」には、西村氏が発病した最初の夏に、ハワイへ家族旅行に行った時のエピソードが記されています。
お決まりの観光地巡りの他に、教会の集会にも参加した様子が報告されています。以下、本文を引用します。

 サムさんの家は小高い丘にあって、綺麗な海を一望出来る静かな町にありました。
夕方、十人ほどの人が集まりテーブルを囲みました。
アメリカでは日常的にあるホームパーティで、滞在中、何回か招かれました。
 どこの国でもパーティの主役は女性です。
私とサムさんは楽しいおしゃべりに耳を傾けていました。
すっかり打ち解けたころ、話題は私たち家族に移りました。
もう何回となく話し慣れた病気のこと、将来、家族。
 明るい雰囲気は一変して、真剣でかつ深い同情の会話が溢れました。
それまでほとんど口を開かなかったサムさんがポツリ、ひとりごとのように
「安心なさい、子どもたちはあなたがいなくなっても、しっかり生きていく。大丈夫、安心なさい」。
そのことばに触れたとき、「あっ」と小さく叫びました。
そして次の瞬間、涙があふれて止まりませんでした。
でも今まで流した涙とはまったく違うものです。
それまで流した涙は、くやしさ、怒り、無念でした。
冷たい涙は、こころもたましいも凍らせます。
今回の涙は、重荷、緊張から解放された、喜びの熱いものでした。
 サムさんは日系アメリカ人、第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線に従軍、何度も生死の境を経験しています。
それ以上の経歴は知りません。
 私との接点はこの時限り。
彼はきっと私の事は覚えていないでしょう。
まったく関係のない彼の「安心なさい」ということばは、心の中で根を生やし、グングン成長し続けていて、今も私を支えてくれています。
 平凡で何処にでもある小さなことば、いえ、ことばとはかぎりません。
仕草や行為かもしれません、が何でこんなに輝くのでしょうか。
魂に届いたことば。
私は、このたった一言に出会うために、ハワイに行ったような気がする。

 サムさんの「安心なさい、子どもたちはあなたがいなくなっても、しっかり生きていく。大丈夫、安心なさい」という言葉はなかなか言えるものではありません。
戦争で死線をくぐり抜けてきた方だからこそ言えた言葉だと思います。
普通なら、その場の空気を読み過ぎて余計な励ましをしてしまうところです。
 悩みの中にある人に語りかけることはなんと難しいことでしょう。
相手の状況に適った言葉を語り、心をほぐし、励ましをプレゼントできる言葉を語りたいですね。
そのためには、沈黙を言葉で埋めようと焦らず、相手の心に寄り添いながら、神様に耳を傾ける祈り心が大切なのだと思わされます。 
                                                         
日本キリスト教団高砂教会副(現主任)牧師 教会学校教頭(現校長) 新谷和茂

ホザナ通信2015年3月号より


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新谷主任牧師 / 08:05 / - / -