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日本キリスト教団高砂教会ブログ Weekly Church News

高砂教会広報部がお届けするHOTな情報☆日々のアレコレ!
2017.05.21 聖日の一日

本日は特別な礼拝で、「むかし僧侶いま牧師」の松岡広和先生がメッセージをしてくださいました。



松岡先生はお寺の次男に生まれ、仏教を学ぶ大学へ進学されました。
学生のときにすでにお坊さんの仕事もなさっていたそうです。さらに修士課程へ進まれ、卒業し、そして韓国へ留学までされたのです。

「私はなぜ生きているのだろうか。」

松岡先生は高校生ぐらいからこの問いを持ち続け、その答えを求めて仏教を学び続けられました。

しかし、その答えは見つからない…。逆に余計に迷ってくる…。

そんな中、仏教を学びに行った留学先の韓国で天地万物を創造された創造主を見いだし、イエス・キリストが救い主であることを知り、信じるに至ったのです。

詳しくは、のぞみ教会のホームページをご覧ください(^^)
http://nozomichurch.net/


「救いを受け取るとは、宗教を変えることではない。」

お坊さんだったときにお坊さんのまま、神様の恵みによりイエス・キリストによって救われた松岡先生の言葉に深くうなずきました。


そして、高砂教会では1週間遅れて今日が「母の日礼拝」でもありました(*^^*)

お母さんたちに心からの感謝を込めて、カーネーションのプレゼント^o^



元老牧師から元老牧師夫人へ
主任牧師から主任牧師夫人へ(*'▽'*)

1部礼拝後のお昼も今日はスペシャル。

本日は特別に美味しいカステラ付き(*^^*)

今日も神様の大きな恵みに感謝でした!








 


- / 21:04 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ コア・ミッションから離れない! ☆ ** ホザナ通信2014年12月号より 

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ コア・ミッションから離れない! ☆ ** ホザナ通信2014年12月号より

 メリークリスマス!
今年もクリスマスがやって来ました。
みなさんはどのようなクリスマスを迎えていますか?
家族や友人知人への優しい心を実践するクリスマスでありますように。
 
さて、今月は「千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン」(野村進著)を読みました。

ご存知ですか?日本には創業100年以上ある企業が15,000社以上あることを!
個人商店などを含めると10万以上あるというのです。

日本最古であり、世界最古の企業は大阪の「金剛組」。
なんと西暦578年(飛鳥時代)から続いているというのです。

日本は世界に類を見ない老舗大国なのです。
そしてその老舗が培ってきた技術が世界産業を支えているというのです。
 
例えば「田中貴金属工業」(田中貴金属)。
創業は明治18(1885)年、今年で129年目。
この企業は、ときどき新聞に金の延べ棒(正式には金地金(きんじがね)という)の広告を出している会社です。
しかしこの企業は、携帯電話のバイブレーションを起こす4ミリくらいモーターに使われている極小ブラシを造っているそうです。
このブラシがなければ携帯電話は動かないというほどの重要アイテム。
しかも殆どの携帯電話には田中貴金属製のブラシが使用されているとのこと。

また世界中の携帯電話の折り曲げ部分で使われている銅箔の4割を製造し、日本国内のライバル一社と合わせて世界シェア9割を占めるのが「福田金属箔粉工業」(福田金属)。
創業は元禄13(1700)年。
優に300年を経ています。
300年以上も倒れなかった老舗企業の背骨に貫かれているものは何なのでしょうか?
11代目の福田誠治さんはこう言っています。

「身の程をわきまえる、というのが、ずうっと貫かれているのとちがうかな。そんな感じが個人的にするんですよ。
バブルのときなんか、それはもう土地を買えとかなんやかんや言われたんですけど、身の程をわきまえたら、自分たちのやる仕事は、そいうものじゃない、と。
『コア・ミッション』(筆者註:コア・ミッションとは「使命の核心部分」)から離れてはいけない、というのは分かっていました。

金属の箔とか粉末を、いかに加工して、いかに人のためになるか。そいうコア・ミッションから離れないことが、自分の身の程をわきまえるということやなと思いますね。
その範囲の中で、いろいろな仕事をしてきたというのは、これからもずうっとかわらないだろうな、と」

京都の老舗に共通する特徴の一つに「身の程を知って分相応に暮らすこと」があるそうです。
福田金属は正にその王道を歩んでいると言えます。

福田氏の言葉「身の程をわきまえる」は、今の日本人に必要な言葉です。
今の日本を覆う文化、特にメディアは「身の程を誤解させる」文化ではないでしょうか。
インターネットの普及によって、幼い子供や多感な青年が、知らなくても良い情報を見聞し、妙に大人になってしまっています。
逆に自分の好きな世界に執着し過ぎる幼稚化する大人もいます。
更にインターネットの匿名性を隠れ蓑にして、まるで自分が神であるかの如く人を断罪する人々が増えています。
また福田氏が「身の程をわきまえる」ことを「コア・ミッションから離れない」と定義づけたことも意味深長です。
全ての人間には、成長段階的に、社会的に、立場的に、能力的に「身の程(コア・ミッション)」というものがあります。
そこから逸脱してしまうときに、自分の人生だけではなく、周囲の人々、更には社会をも混乱させてしまいます。

 
イエス・キリストは自分のコア・ミッションから決して離れず、それを成し遂げたお方でした。
キリストの周囲には、自分達の都合の良いようにキリストを持ち上げようとする動きがありました。
しかしキリストはそういう人々の期待や誘いを一切断ち切り、御自分のコア・ミッションに徹したのです。
その結果が十字架刑でした。
十字架の死こそがキリストのコア・ミッションだったのです。
キリストの十字架の死が、私たちの罪の身代わりの死となり、信じるだけで赦され救われるという救いの道が完成したのです。

クリスマスはこのイエス・キリストがこの世に来られたことを御祝いする日です。

わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。ヨハネによる福音書10章11節



日本キリスト教団高砂教会副(現主任)牧師 教会学校教頭(現校長) 新谷和茂

ホザナ通信2014年12月号より


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新谷主任牧師 / 09:22 / - / -
2017.05.07 聖日の一日
5月、爽やかな気候の聖日でした。神様が創られた素晴らしい日を感謝します!

5月のように爽やかな若者たちも主に讃美と礼拝を捧げました(^^)


高校2年生。教会学校中高生科で初メッセージ(*^^*)

「自己中心から神様中心へ」と題して、マタイ6:33から熱く語りました。

「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」 マタイの福音書6:33(リビングバイブル訳)


そして、1部礼拝では青年会メンバーによる特別讃美

爽やかな聖霊様の風が吹いていました。


また、1部礼拝で今年度の勧士・執事の方々の任職式がもたれました(^o^)





教会学校 / 20:40 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 人を不幸にする7つの致命的な習慣 ☆ ** ホザナ通信2014年11月号より 

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 人を不幸にする7つの致命的な習慣 ☆ ** ホザナ通信2014年11月号より 

  今年もいよいよあと1ヶ月となりましたね。この一年もホザナ通信をお読み下さりありがとうございました。
 先月も紹介した本「人生を楽しく幸福に生きる法」(青木仁志著、柿谷正期監修)から“良好な人間関係を築く知恵”について分かち合いたいと思います。
『不幸な人の致命的な7つの習慣』というドキッとすることが紹介されています。以下引用します。

 配偶者や恋人、親子、職場の人々は、人生の中心近くに存在するとても大切な人たちです。
毎日をともに過ごすのですから、できる限り仲良くしたい人たちでもあります。

本来、お互いが求めているのは良好な人間関係のはずです。
ところが現実はどうでしょう。


 グラッサー博士は長年のカウンセリングの経験から、
「すべての不幸な人が抱えている問題の核心部分は、貧困や不治の病、政治的横暴などを除けば、お互いが望んでいるのに、互いに上手く関わっていけないことである」
と断言しています。
また博士は「人間にとって唯一の問題は、不幸であることだ」としています。
そして人が不幸なときには、異様なまでに破壊的な創造性を発揮し、その結果、非行、犯罪、薬物依存、暴力、精神病と呼ばれるような行動を取るようになると指摘しています。
 本当は仲良くしたいと思う相手とうまくやれない。
一見、他愛のない問題のようですが、これこそがこの世の不幸の根源でなのです。
もちろん、私たちはそのことで葛藤し、何とか改善しようと努力もしています。
しかし、その効果はたかが知れていて、ギクシャクした関係が続くだけか、かえってかっかさせる場合の方が多いようです。
なぜでしょうか。その最大の要因は、関係改善に「人を不幸にする7つの致命的な習慣」を使うからです。

 では、その「人を不幸にする7つの致命的な習慣」とは如何なるものなのでしょうか。

“稟修垢;自己批判も含めて建設な批判はありません。
            批判されて感謝する人は誰もいません。
            批判はすべて破壊的で嫌われるものでしかない。
∪佞瓩:叱ることと責めることは大違いです。
          過ちは責めるのではなく正すべきことです。
          また強制からは何も生まれません。
          強制が長く続くと人間関係が修復不能になります。
J原腓鮓世:大切なのは叱ること。
              自分の感情、つまり相手への反感が優先されているから文句になる。
              文句を言えば親密さを失い敵対関係が生まれます。
ぅミガミ言う:二度以上繰り返す注意はくどいだけで逆効果です。
                躾とは短くキチンと注意し、言動に責任を持たせることです。
ザ爾:相手は敏感に反応するけれども、本質的改善になりません。
        力でねじ伏せようとすると愛と自由を失います。
        支配されることを望む人は誰もいないのです。
θ海鰺燭┐:健全な生活に必要な責任を学ばせるのに、あらゆる罰には効果がありません。
              やがて相手に対する影響力も失います。
Г曚Δ咾把爐:人は誰でもほうびは好きですが、ほうびで釣る人を好きになることはできません。
                家庭や職場から帰属意識が稀薄になり、求心力もなくなります。

 確かにこの7つは私たちの日常で「習慣」となっているもので、相手を変えるため、もしくは、相手のために良かれと思って、当たり前のように行っていることです。
 しかも良かれと思っているからこそ始末に悪い。
 あくまでお互い相手を悪者に仕立てあげ、不幸な人間関係の循環から抜け出せなくなるのです。
 最終的には本質よりも勝ち負けにこだわってしまう。
 この問題に対して聖書はどう答えているでしょうか?
 言葉があります。

いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。コロサイ4章6節

 条件反射的に言葉を発するのではなく、「塩で味付け」する時間をもつことです。
ひと呼吸、ふた呼吸して、どうすれば自分も相手も気持ちよく過ごせるか、どうすれば自分の気持ちを正しく伝えられるかを考えつつ、頭の中で遠回りさせることです。
すこし練習が要りますが、練習する価値はありますよ

                                                         
日本キリスト教団高砂教会副(現主任)牧師 教会学校教頭(現校長) 新谷和茂

ホザナ通信2014年11月号より


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新谷主任牧師 / 20:35 / - / -
復活祭 喜びと感謝の一日

2017.04.16 復活祭(イースター)特別礼拝の一日
早天礼拝から1部礼拝、2部礼拝とイエス様の復活を喜び、イエス様を死から復活させた神への感謝を捧げる感動の礼拝でした!

イースター早天礼拝


イースター特別礼拝2部(午後)

1部(午前)礼拝の写真を撮り忘れていました(T_T)1部礼拝はたくさんの方々が来られていました!


そして夕方からは、ご馳走や余興が盛り沢山のイースター晩餐会に突入!







霊も心もお腹も満たされた1日でした(*^▽^*)

イエス様の復活を感謝しますー!


- / 14:16 / - / -
美智子の牧師夫人物語―花も嵐も踏み越えて― 第16回

第16回


悲しい大きな教会分裂という痛手を負った高砂教会でしたが、それでも教会の歩みは止まることなく進められて行きました。


あの失った教会堂建設の用地には、兵庫県の肝いりで分譲住宅が建てられました。

祈りの中で神様からの強い啓示を受けた夫は、個人で購入する決断をしたのでした。

神さまは私たちの祈りを見捨てることなく、牧師館として購入する道を開いて下さいました。

経済的にはローンの借り入れ資格に達しない私たちに、いくつもの奇跡の手が述べられて、購入が可能となりました。

その住宅は、深い緑に覆われたユーカリの並木道が続く公園を抜けた場所にあり、当時としてはとてもオシャレな住宅街でした。


分裂の傷を抱えた重い心を引きずりながら、どうやって引っ越しの荷物をまとめたのか記憶がありません。
引っ越し当日は雨模様の中、手伝いに来てくれたのは、高校生を含む数名の若者とわずかな婦人たちでした。

これまでの酷い雨漏りのする牧師館から、真っさらな素敵な住宅に移れる喜びより、これで良かったのだろうかと言い知れない不安に胸が締め付けられたのでした。


それから間もなくしてある方がやって来られ、「高砂教会は、もうすぐ先生たち夫妻を残して殆ど誰もいなくなるだろう」と言われました。


その言葉が頭の中で、鐘を鳴らすように響きわたり、眠れない夜を過ごしたのでした。


やはりその後、すでに教会を去られた方々からの揺さぶりが水面下であったようで、特に若い方々が次々と躓いて去って行かれました。


こうして、私達が着任した時におられた方は、二組の夫婦と三人の婦人たちしか残っていませんでした。


しかし神様は、一方的な励ましのシャワーを意気消沈した教会に注ぎ続けてくれました。
前回書きましたように引き続き、ユースウィズ・ア・ミッションチーム(以下YWAMと表記)を次々と送ってくださいました。


また、教会に滞在して伝道の働きを助けてくれる宣教師も送られてきました。

アメリカのYWAMの若いミア、フレーリー宣教師が一年間滞在され、英会話教室を開いて伝道の窓口となってくれました。


また、ミア、フレーリ師と交替に、フィンランドのYWAMから若い独身女性のハンネレ師が5ヶ月間滞在され、その後同じくフィンランドよりリトワネン夫妻が宣教師として数年間滞在され、共に働いてくださいました。

写真中央の女性がハンネレ師


国内では、シニアバイブルクラスを導いていた浅原神学生と同じ聖書学校を卒業した津留田伝道師が着任されました。


また、その他にも国内や海外から、多くの牧師や宣教師が訪れてくださり、神様がこの数年間の教会回復プログラムを企画されたとしか思えない助けと訓練をなし続けて下さいました。


消化しきれないほどの神の愛が、高砂教会と信徒たちに降り注がれた時代でした。


分裂直後、オーストラリアへ新婚旅行に行かれた松本美和姉が、YWAMのダグラスクール牧師と再会し、現地のカトリック教会でのカリスマ集会に参加した折、カトリックのブラザーによって語られた預言の言葉が着々と現実になって現れて来るのを目の当たりに見ているようでした。


「万軍の主は言われる。高砂教会はひとつのコップのようです。このコップは今は神の祝福がすっかり去って無くなってしまったかのような状態です。しかし、そのコップが空っぽになる、まさにその時から、神は御霊と愛と祝福をこの中に一杯になる迄満たされます。やがてコップは溢れ出し、御霊と愛とを地域の多くの人々に分かち与えて行くでしょう」


こうして教会は強められ、救われる人々が増し加わり、いつの間にか10年という歳月が経っていたのでした。


そして神様は私たちに思わぬプレゼントをくださったのでした。
それは、共に霊的な戦いを歩んでくれた愛する教会員たちから、牧会10周年を祝っての記念イスラエル旅行でした。
学生、青年、主婦たちが主な信徒たちでしたが、多額の費用を惜しみなく喜んで捧げてくれました。
夢のようなイスラエル旅行でした。聖地に立った時の感動は、これまでの苦労が全て恵みに変えられて行く時となりました。

皮なめしシモンの家にて


「恵まれた女よおめでとう!主があなたと共におられます」と、受胎告知の知らせを受けたマリヤに御使いが語られた言葉が私にも語りかけられました。


畏れ多い言葉ですが、この言葉をしっかりと胸に納め、マリヤのように従順に主に従う者とならせて頂きたいと、悔い改めと共に新たな献身の誓いを秘かにしたのでした。

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美智子の牧師夫人物語 / 12:48 / - / -
聖日の一日 2017.04.02
4月になりました(^^)
新しい年度がスタート!新生活が始まる人が多いこの時期です…

教会学校では進級式が行われました。
礼拝は中高生が導きました(*^^*)
讃美も

メッセージも

証しも

礼拝の後はいろいろ表彰式!


最後は教会学校校長である新谷主任牧師先生からの激励メッセージ(o^^o)



そして、一部礼拝の報告の時間には、新社会人になる人、進学する人たちの旅立ちを祝福し、祈る時を持ちました。

彼らが新しい場所でいつも神様と共に歩みますように!


夜の讃美夕拝は、今年2月から行われているセミナー「幸せなクリスチャンファミリー」がありました。

講師はおなじみのアンドリュー カウンセリング牧師です。

第2回目の今夜は、「愛とリスペクト」について深く学びました。



次回は2017年6月18日19:00〜です。
今回も祝大があります!

この事を祈り続けましょう!








- / 22:21 / - / -
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 子供の間違いを「罪」にしない ☆ ** ホザナ通信2014年10月号より

〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 子供の間違いを「罪」にしない ☆ ** ホザナ通信2014年10月号より

 ホザナ通信を楽しみ読んで下さっている皆様、最近発行が遅れ遅れですみません。やっと10月号です。


 今月は「人生を楽しく幸福に生きる法」(青木仁志著、柿谷正期監修)を読みました。
職場の人間関係、夫婦関係、親子関係を潤滑にするアドバイスが満載です。
その中から第6章「子供との上手な距離感のはかり方」にある「親は何故、子供の間違いを『罪』にしようとするの」を紹介したいと思います。
 人間には失敗がつきものということを、片時も忘れてはいけないのです。
それは子供でも大人でも同じです。
大人でも、食事中にこぼしたりコップをひっくり返すことがあります。
毎日の生活のなかには、「ついうっかり」ということがよくあります。
問題なのは、子供の「そそう」に対する親の接し方です。
失敗したことを責め続ける傾向があるのです。

 変えたばかりのしかもお気に入りのテーブルクロスに、子供がジュースをこぼしたとします。
こういうときに、ほとんどの親は「何てことをするのッ!」と語気を荒げます。
そして「まったく、あんたはいつもそうなんだから」とトゲトゲしく続けます。
心当たりがありませんか。

 さらには、「忙しいときにかぎって用を増やすのだから」と怒ります。
さてこの場合、誰が中心になっているのでしょう。
そう、親です。親が利己的になっているのです。子供、とくに幼児は、やることなすことが稚拙で、失敗や間違いもたくさんしでかします。

でも、それが子供の特権であり、それを繰り返すことでだんだん上手にできるようになっていくのです。
 そのプロセスを温かく見守ることもなく、親の都合や気分を優先させるので「言葉の虐待」とも受け取れることが平気で言えるのです。
これでは、子供は自分の失敗や間違いを「罪」と感じるようになります。
親自身が、まったく違う価値観と心の傷を植えつけているのです。
結果、子供らしい幼少期を味わうこともなく常に、親の顔色をビクビクうかがいます。
 それが「トラウマ」となり、精神不安定やうつ、引きこもり、過食・拒食になりやすい性格を形成します。
全ては親の無自覚が原因です。

子供のそそうは罪悪ではありません。
それらがキチンとできるようになるには、時間がかかります。
叱ることには何も意味がありません。見守ってやる親の心が必要です。

 確かに子育てには時間と手間がかかります。
乳飲み子の場合はいいのですが、ある程度大きくなって自分で何でもやろうとする子供(第1次反抗期)には、親はついつい大人と同じレベルで見ようとしてしまうことがありますね。
結局できなくて却って時間と手間がかかってしまう子供の姿に、親はイライラしてしまうのです。
そして、そのできないことがまるで「罪」であるかのように、キツイ言葉を子供に浴びせてしまいます。
 私達大人も、かつて子供の頃には同じだったのです。
注意されても、何度も同じ間違いや失敗をしてきました。
その度に、何十回、何百回と親を困らせ、後始末をしてもらっていたのです。
その忍耐力と愛情にはただただ感謝あるのみです。
結果だけを見ないで、成長のプロセスを温かく見守っていきたいですね。
 子供との関係だけでなく、大人同士の関係においても、「ついうっかり」「他のことに気を取られて忘れしまっていたこと」を罪でもあるかのように追及してしまうことがあります。
しかしその様な追及が、相手の心にダメージを与え、心を開いた関係を壊してしまいます。気を付けたいものですね。
さて、聖書にはこんな言葉あります。


『 あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。 』    伝道の書7章16-17節
    
 親子関係を含めたあらゆる人間関係において「正しすぎる、知恵がありすぎる、悪すぎる、愚かすぎる」には気を付けましょう。
日本的にいうなら「ほどほど」「お互い様」を忘れないことです。

                                                  

日本キリスト教団高砂教会副(現主任)牧師 教会学校教頭(現校長) 新谷和茂
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新谷主任牧師 / 14:12 / - / -
美智子の牧師夫人物語―花も嵐も踏み越えて― 第15回

第15回


1979年から1980年は、高砂教会の歴史に残る激動の年であったと思います。

 

信仰理解の違いからくる激しい対立の最中、ユース・ウィズ・ア・ミッション(以下YWAMと表記)宣教チームの来訪によって開かれた伝道集会は、信徒たちの信仰が燃やされて、女性聖歌隊や有志の賛美チームが結成され、たくさんの方々が集められ、大いに盛り上がった伝道集会となりました。

 

 

また、チームと一緒にトラクトを配ったり、伝道に出かけたりした者たちは、喜びに溢れ、いつ迄も時間を共有したくて、夜遅くまで教会に入り浸っていました。

 

教会員たちは、宣教チームの方々から溢れ出る神の愛と聖霊の清々しさに触れて、さながら神の国にいるような交わりを体験したのでした。

 


また、その年から始められた高校生をターゲットにした「シニアバイブルクラス」は、多くの高校生が教会に足を運び、救われる若者が次々と起こされた日々でした。

 

その中の1人が、現在、高砂教会の主任牧師である新谷和茂先生です。

↑大学生の頃の新谷青年

 

 ↑主任牧師となられた新谷先生

 


このようにして、聖霊さまから来る喜びに満たされていく人々と、これまでの高砂教会の信仰の在り方を守り通そうとされる方々との温度差が、どんどんと開いて行ったのでした。

 

ここに至るまで、神様は必ず最善をなしてくださると、集まってはよく熱心に祈りました。

 

また特に、朝早く仕事や学校に行く前に教会へやって来て、私たち夫婦と共に祈ってくれた若き姉妹たちとの時間を忘れることができません。

 

このような対立が続く中で、肉体的精神的には大変疲れていましたが、それに反比例するかのように、私の内なる魂は喜びに満たされていました。

 

自分でも、「こんなに大変な苦しい状況なのに、不思議に喜びが湧いてくるのはなぜかしら?」と首を傾げるほどでした。

 


その後、二回に亘る教会総会おいて、教会堂建設用地取得が却下されました。

 

この事が決定的な出来事となり、その年の年末に十数名、翌年の4月に二十数名の方々が教会を去って行かれました。

 

そんな苦しい教会の状況を、神様は見捨てず励まし続けてくださって、以来数年に亘り次々とYWAMのチームを送ってくださいました。

 

そして数々の励ましの御言葉が、YWAMのメンバーから贈られ、手束牧師と教会員たちは暗いトンネルを抜け出して、新たな希望を見つめて立ち上がり始めました。

 

どん底にいながら、神様からの励ましと希望をたくさんいただいた不思議な体験の日々でした。


経済的に教会を支えておられた方々が去って行かれた後は、女性たちと若者たちがほとんどの教会となりました。

 

礼拝も半分以下の人数となり、オルガン奏者4人も去って行かれ、なんと!少ししかピアノを習っていない私が、下手な奏楽をするしかありませんでした。

 

 

ある真冬の日の礼拝で、主人のメッセージ前の賛美歌を弾き終わったとき、3歳だった次男が教会裏のドブ川(工場からの排水路)に落ちたとの通報が入りました。

 

慌てて飛び出すと、川から引き上げられた目だけ白い全身真っ黒な生き物が、ガタガタと震えながら猛烈な悪臭を放って立っていました。

 

すぐに我が子と分かり、自転車の後ろに乗せて、5〜6分離れた牧師館に連れて帰りました。

 

シャワーで全身を洗い流すと、髪の毛からマンガに出てくるような魚の骨が、ポロっと落ちました。
風呂場から悪臭が消えるのに、1週間かかりました…。

 

急いで教会に戻ると、ちょうどメッセージの終わりにぴったりと間に合い、何食わぬ顔で、賛美歌の伴奏をしたことを懐かしく思い出します。
てんやわんやの一コマでした。


 

 

 

 

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美智子の牧師夫人物語 / 10:07 / - / -
デュナミスコース
2017年2月13日(月)から16(木)まで、高砂教会において「デュナミスコース」が開催されました。

デュナミスコースでは、アメリカ長老改革教会聖霊刷新協議会(PRMI)によって「聖霊の神学」を体系的に、また実践的に学ぶことができます。

今回が最終回となり、過去7回の総まとめの学びとなりました。

8回にわたる学びによって、PRMI講師陣の先生方とも絆が深まり、最後お見送りする時は涙、涙でした。
素晴らしい学び、交わりを心から感謝します!















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