〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 真理によって自由になる ☆ ** ホザナ通信2012年11月号より
2016.06.21 Tuesday
〜 新谷牧師のひだまりエッセイ 〜心にいっぷく ** ☆ 真理によって自由になる ☆ ** ホザナ通信2012年11月号より
落ち葉が舞う季節となり、吹く風が身にしみるようになりました。皆様、健康にはくれぐれもお気を付け下さい。
落ち葉が舞う季節となり、吹く風が身にしみるようになりました。皆様、健康にはくれぐれもお気を付け下さい。
さて、先月に引き続き今月も石井希尚著「あなたを苦しめる過去から自由になる本」から分かち合いたいと思います。
石井氏はこの本の中でこのように語っています。
人は自分が信じているとおりにしか生きられません。
自分で自分を何ものだと思っているかが、その人の人生を決めてしまいます。
性同一性障害という言葉を知っていますよね。
自分で信じている自分自身と、生物学的自分が一致しないとき、自分で自分を何ものであると信じているかは、生物学的性別をも超えてしまいます。
これは、自分が信じる自分が自分であるという典型的な例です。
私は自分が男であると自覚し、男であると信じていますから、男であるという前提で思考し行動しています。
それと同じように、私は夫であると自覚していますし、夫であるという前提で思考し行動しています。
自分が自分という存在をどのように理解し、深いところでどのように信じているかが、自分の行動に決定的な影響を与えます。
私たちの行動は、自分が「何ものであるか」という自覚、つまり「自己認識」と密接に関わっているのです。
親からしかるべき愛情を受けずに育ってしまうと、この自己認識に多大なマイナスの影響が及びます。
大切に扱われなければ、自分が大切な存在なのだと自覚できずに育ってしまうのです。
自分には価値がないと思っている多くの人達が、育った環境によってそう思い込まされてしまっているのです。
自分で自分を何ものだと思っているかが、その人の人生を決めてしまいます。
性同一性障害という言葉を知っていますよね。
自分で信じている自分自身と、生物学的自分が一致しないとき、自分で自分を何ものであると信じているかは、生物学的性別をも超えてしまいます。
これは、自分が信じる自分が自分であるという典型的な例です。
私は自分が男であると自覚し、男であると信じていますから、男であるという前提で思考し行動しています。
それと同じように、私は夫であると自覚していますし、夫であるという前提で思考し行動しています。
自分が自分という存在をどのように理解し、深いところでどのように信じているかが、自分の行動に決定的な影響を与えます。
私たちの行動は、自分が「何ものであるか」という自覚、つまり「自己認識」と密接に関わっているのです。
親からしかるべき愛情を受けずに育ってしまうと、この自己認識に多大なマイナスの影響が及びます。
大切に扱われなければ、自分が大切な存在なのだと自覚できずに育ってしまうのです。
自分には価値がないと思っている多くの人達が、育った環境によってそう思い込まされてしまっているのです。
この石井氏の指摘は、私たちが豊かな人生を生きる上で、至って重要なことです。
石井氏の言うように私たちは育った環境を通して「自分が何者であるか」を認識し(あるいは、思い込まされ)、信じるに至ります。
勿論その中には健全なものもあります。
赤ちゃんは、親や周囲の人達から「○○ちゃん、○○ちゃん、可愛いね〜」と呼びかけ続けられて、自分が○○ちゃんだと自己認識をしていきます。
また赤ちゃんは、日本語で語りかけられ、日本的な習慣で接せられることによって、自分が日本人であると認識していきます。
ある宣教師夫婦(夫がアメリカ人、妻が日本人)は、生まれた子供をどちらの国の人間として育てるか相談し、アメリカ人として育てることに決めました。
ですから彼らは家庭では子供に英語で話しかけ、アメリカ的習慣で育てています。
こういうのは健全な部類に属するでしょう。
しかし不健全な刷り込みがあります。
比較され見下されて育てられたり、失敗を絶えず指摘され批難されて育てられたり、親が果たせなかった夢を無理矢理背負わされたりなど、そういう環境で育てられた子供は、劣等感や被害者意識を強く抱き、自分の本当の価値を素直に認めることができず、苦しむことになる可能性が大きいでしょう。
しかしどんなに不健全なものを刷り込まれ信じていたとしても、それが「信じる」という心の作用である限り、選び直しができるのです。
人間には「信じる内容」を選び取る自由と責任が与えられているのです。
それこそが信教の自由であり、基本的人権の根幹です。
健全且つ幸せな人生に向かわせる正しい情報(真理)を知ったならば、今まで信じてきた不健全なものと真理を置き換えていく、その作業が選び直しであり、信じ直すということです。
少々時間はかかりますが、置き換え作業を繰り返している内に、だんだん真理が心に馴染んできて、真理が心の本音になり、健全な成長に繋がっていきます。
イエス・キリストはこう言われました。
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8章3節)まさにその通りです。
イエス・キリストは私たちを様々な不健全な思い込みから自由にするために、真理を伝えるために来られたのです。
イエス・キリストが伝える真理とは、人間を創り、人間に命を与え、人間の何たるかを知っている神様からの真理です。
永遠に色あせない変わらない真理です。
聖書は、神様が私たちに伝えたい真理の集大成なのです。
さあ、この聖書の真理に耳を傾け、不健全な思い込みから自由になっていきましょう。
高砂教会副(現主任)牧師 教会学校教頭(現校長) 新谷和茂
石井氏の言うように私たちは育った環境を通して「自分が何者であるか」を認識し(あるいは、思い込まされ)、信じるに至ります。
勿論その中には健全なものもあります。
赤ちゃんは、親や周囲の人達から「○○ちゃん、○○ちゃん、可愛いね〜」と呼びかけ続けられて、自分が○○ちゃんだと自己認識をしていきます。
また赤ちゃんは、日本語で語りかけられ、日本的な習慣で接せられることによって、自分が日本人であると認識していきます。
ある宣教師夫婦(夫がアメリカ人、妻が日本人)は、生まれた子供をどちらの国の人間として育てるか相談し、アメリカ人として育てることに決めました。
ですから彼らは家庭では子供に英語で話しかけ、アメリカ的習慣で育てています。
こういうのは健全な部類に属するでしょう。
しかし不健全な刷り込みがあります。
比較され見下されて育てられたり、失敗を絶えず指摘され批難されて育てられたり、親が果たせなかった夢を無理矢理背負わされたりなど、そういう環境で育てられた子供は、劣等感や被害者意識を強く抱き、自分の本当の価値を素直に認めることができず、苦しむことになる可能性が大きいでしょう。
しかしどんなに不健全なものを刷り込まれ信じていたとしても、それが「信じる」という心の作用である限り、選び直しができるのです。
人間には「信じる内容」を選び取る自由と責任が与えられているのです。
それこそが信教の自由であり、基本的人権の根幹です。
健全且つ幸せな人生に向かわせる正しい情報(真理)を知ったならば、今まで信じてきた不健全なものと真理を置き換えていく、その作業が選び直しであり、信じ直すということです。
少々時間はかかりますが、置き換え作業を繰り返している内に、だんだん真理が心に馴染んできて、真理が心の本音になり、健全な成長に繋がっていきます。
イエス・キリストはこう言われました。
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8章3節)まさにその通りです。
イエス・キリストは私たちを様々な不健全な思い込みから自由にするために、真理を伝えるために来られたのです。
イエス・キリストが伝える真理とは、人間を創り、人間に命を与え、人間の何たるかを知っている神様からの真理です。
永遠に色あせない変わらない真理です。
聖書は、神様が私たちに伝えたい真理の集大成なのです。
さあ、この聖書の真理に耳を傾け、不健全な思い込みから自由になっていきましょう。
高砂教会副(現主任)牧師 教会学校教頭(現校長) 新谷和茂
ホザナ通信2012年11月号より
子育てや人生に関する記事が連載されている
月刊ホザナ通信(無料)は郵送も承っております。
興味のある方は高砂教会へご連絡ください。
ホームページ:http://takasago-church.com/
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